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古民家風の母屋家屋よりは新しく付け足されたものらしいウッドデッキは、
それでも程よく使いこまれているような趣があり。
庭を取り囲む椿の生け垣の葉が月光を浴びてつややかに光っているのが見渡せる。
日のあるうちは随分と暖かくなったれど、
宵をすぎての野外に垂れ込める夜気はまだ肌に触れる分にはうすら寒いそれで。
ジャケットは着たままの敦はそうでもないらしかったが、
外套を脱いでいた太宰、シャツにカーディガンだけでは少々寒いのか、
部下の少年の二の腕を長い腕を伸ばして掴み取ると、そのままぐいと間近まで引き寄せ、
「聞かれるのも何だから、内緒話といこうじゃないか。」
いつも盗聴器という笑えない玩具を駆使する人物が勝手なことを言うものだが、
この時の敦は少々混乱した直後で、そこまでいろいろ考えることも出来なんだようで。
先程 例に出した中也と自分の体格差のちょうど逆、
頼もしい懐に引っ張り込まれるまま凭れるようになって、
柔らかなラベンダーの香のする温みにくるまれ、
後輩くんが 散々泣き疲れた子供のように ほうと小さくため息をついた。
そして、
「…ごめんなさい。」
んん?と目許を伏せるよにして胸元の子虎くんを覗き込めば、
そちらもまた、淡色の睫毛の先が頬に触れるほど下ろしての、
すっかりと傷心気味なお顔でいる。
何処か勝手な理由でかっかと不機嫌になるなんて、
しかも こんなところにいるからには
オフの身で休養中だったのだろ太宰にまで迷惑かけるなんてと、
日頃の腰の引けた彼らしい級にまで、感情の起伏とやらは落ち着いているらしく。
「ボクは…」
ふと小さく吐息をついて、ぽつりぽつりと述懐を始める彼であり。
ボクはまだまだ世間知らずの物知らずで。
上手に組み立てて物事を言い表すのも途轍もなく下手な不器用で。
言いたいことの半分も伝えたいように言えなくて。
だから、それは真摯に訊いてくれる太宰さんの、それは落ち着いた無表情な顔が、
もういいよ判ったよと、呆れるように歪んでしまったら、
そんなことはなさらないけれど、侮蔑するように歪んだらって一丁前に恐れていて。
そうなったらどうしようって臆するところや卑屈なところはいまだに改善されてなくって。
こちらを見上げもしないままなのは、
今になって臆病なところも目を覚まし、それこそ詰られたらどうしようなんて
見えない虎の耳を伏せて怯え半分でいるのかも知れず。
あれほどプリプリと怒っていたのに、
それも他でもないあの中也を相手に“寄るな触るな”という態度でいたことを思い返せば、
もうもうまったくと、可愛らしいやらくすぐったいやらでしかなくて。
「…うん。キミはそういうところがあるね。」
ホントにもうもうと 太宰としては苦笑が絶えない。
相手の心持ちがどうしたと、
それをこそ振り回し、こっぴどく操るという、
やや人の悪い人心掌握や心理操作を主とした
悪辣外道にして狡知な策だって山ほど繰り出して来た身には、
もはや当てつけにも聞こえない級、なんて愛らしい含羞みなことか。
その身が引き裂かれようとものともせずに危地へ突っ込み、
身を挺して誰かを庇うような子のくせに。
一瞬前までは憎たらしい敵だった存在であれ、
その身を盾にして護ってしまえるような子だというのに、
いやいやそういう子だからなのだろか。
こういう柔らかい繊細なことへも敏感で、
自分の身への切なさのように引き取っては案じていたなんて。
そんな他愛もない ささやかなところへ遠慮するあまり腰が引けるのだから、
悪辣強かな自分とはつくづくと価値観の物差しが違うなぁと思い知らされる。
だが、それをいい子いい子と肯定してばかりいては話も進まぬというもので、
「でも、それって時と場合によっちゃあ相手へも失礼ではないかな?」
引き寄せたことで丁度顎先に来ていた
月光にちかちかと光をばらまく前髪を見やりつつ、低めた声で囁いてやり、
「おチビだってことを連想させる何やかや、
全部避けての引き取るあまり
ぎゅうと抱き着くことさえ遠慮していたなんて。
バレたらそれこそ 見くびるなと怒られてしまうとは思わなかったのかい?」
「…。」
今宵は、それで逆に敦の側が怒り出してしまったのではあるが、
そうまで気を遣ってたなんて話自体が、
中也という人物を 随分とまあ器の小さい奴よと
腫れもの扱いしてはないかという含みは伝わったようで。
虎の尻尾が出ていたならば しょぼんと垂れてたに違いないほどに、
細い首を折れそうなほど項垂れさせている 可愛らしい後輩さんで。
「第一、褒めるようで気が進まないけれど、
あの帽子置きは身長に比して結構気が長いのだよ?」
「…はい。とても我慢強く話を聞いてくれます。」
しかも、こたびこの少年が腰が引けていたのは、
叱られるとか嫌われるという方向でじゃあない。
あの大猩々ばりに勇ましき脳筋男が、その果敢さにそぐうほど豪胆な男が
それでも傷つくのではなかろうかなんて余計な気を遣い。
それがため、本当はもっと甘えたかったのさえ抑え込んでたこと。
だってのにあんな…こっちの気遣い蹴っ飛ばし、女の子になり切るなんてマネをされたと、
やはり勝手に腹を立ててしまったことへ、今はこうまで萎んでいるのだから、
太宰からすれば、もうもう本当にこの子ったらという苦笑が絶えないし、
拙いものながらも彼は一生懸命だったのだろう
その慎ましくも優しい心持ちが愛おしくってしょうがない。
「判っているなら怯むことはなかろうよ。」
キラキラ光を撒き散らかす白銀の髪をそおっと撫でてやりながら、
彼奴を傷つけると思ったって? それこそ思い上がりなさんな、
この私がどれほどの長きにわたり、どれほどの贅を尽くして語彙を繰り出し、
けちょんけちょんに罵詈雑言ぶつけて来たか。
「う…。」
芥川くんにでも聞くといい、
中也に限っての悪口雑言、CD何枚組に出来ることやらって吐き倒しているからね…などと、
それって胸張って言っていいのかしらと疑問に思うこと請け合いな方向で 太鼓判を押してくれ、
「確かに相変わらずの逆鱗じゃああるようだが、
キミのようなひよっこの可愛らしいさえずりなんて、屁とも思わないに違いない。」
「えっと…。」
場合が場合でなければ、そんなことを自慢するなんてという方向で呆れるだろう言い回し。
国木田さん辺りへよく使っているような、詭弁もどきのご高説で。
どうお返事したものかと困っている後輩くんへ更に付け足したのが、
「むしろ、キミみたいないい子を
あんな蛞蝓にゆだねにゃならんという現状をこそ、どれほど残念に思っていることか。」
「それは…っ。」
言いすぎだとさすがに反射的に顔を上げれば、
「現に今、こんなに思い沈んでの困らせてしまっているじゃあないか。」
「だからそれは…ボクが浅はかというか、余計な空回りをしていたからで。」
怒られちゃうんじゃないか、それが怖かったの?
違うよね、中也が傷ついちゃうんじゃないか、
自分はそんなこと思ってないって体でいたかった。
我慢強い中也でも唯一のコンプレックスに絡むことだけに
迂闊に言えない、気付かせてもいけないって、
選りにも選って自分の甘えたい気持ちまで押さえつけてたんでしょう?
「怒らせてそれでバイバイと、顔も見たくないっていうお別れになってしまったら。」
「…っ!」
マフィアの人を怒らせちゃったな、ああ怖かった…なんて
俗で単純な道理を持って来て済ませられるよな相手じゃあなくなっているのだものね。
それでずっと煩悶してたのだろう?
厭な奴だと嫌われるかもというのとも微妙うに違う機微、
卒なくいい子でいたかったからじゃあない 切なる心理。
どうでもいい相手じゃあないという特別な想い
失敗しちゃったなぁって 傷ついて、でも
忘れてしまやいいのだと とっとと“過去”に追いやれない、
そんなまで大切で愛惜しい相手だから。
ずっと好きだし好きでいてほしい相手だから。
「いっそ私がそうしているように、
踏み台にだって出来るよな
遠慮斟酌ない種の思い入れならよかったのにねぇ。」
「太宰さん…。」
太宰のように 嫌い合っていてもどこかでは信頼し合ってるような、
なればこそって物理的な踏み台にさえしちゃえるような強腰になんて到底なれない。
だって、知り合いだからとか馴染みがあるからっていうつながり以上の
甘くて暖かくて柔らかな居場所、
今まで生きてきた中で それは得難い夢のようなものだった
それはやさしい絆をくれた人だもの。
得難いもの、しかもいつの間にか胸の奥底へ食い込んでた、
言ってみれば生まれて初めて抱いてしまった我欲。
世に数多ある野望や欲望に比すれば何ともささやかなそれだのに、
敦にはかけがえのない至福のタネであり、何をおいても守りたいもので。
甘えたいという気持と、傷つけたくない護りたいというちょいと不慣れな庇護欲と、
微妙に相反するよな心持ちが鬩ぎ合ってのこと、
それゆえの かわいらしい迷宮にはまり込んでしまい、
ちょっとほど様子がおかしかった少年なのであり。
「敦くんがそうまで見込んだ奴なのだよ?
だってのにさ、
そんな些細なことでへそ曲げちゃうよな小者だと思ったのかい?」
「えと……。」
あれれ? それって矛盾してる、のかなぁと。
玻璃玉のような双眸を困ったように見張ったところで、
「というわけで、喧嘩両成敗でいいんじゃなかろうかと思うわけだが。
いかがかね、中也。」
「え…? あ。」
肩越しに背後へと振り返った教育係さんが、少しほどその身を譲ったことで
敦少年にも見えたリビングでは、
大窓の向こう、こちらへ飛び出して来たかったらしい幹部殿、
芥川の羅生門で腕辺りを拘束され、何とか引き止められてたようで。
本気で抵抗したら、その程度では抑え込めなかったろうし、
そこまでムキになる黒獣使いさんでもなかろうから、
どちらもある程度は自制したうえで我慢し合っての拮抗状態らしかったものの。
ややこしい羽交い絞め状態の二人にあわわと慌てて駆け寄る虎の子くんが可愛くて、
背高のっぽな上司殿、ふふーとほのぼの笑ってしまわれて。
そしてそして、
「敦は本当にやさしい子だよな。」
「えっとぉ…。//////」
配役が入れ替わっての月夜の語らいは、
ほんの先程まで、そりゃあ剣呑な様相でいた二人だったはずが、
春の夜の夜気の中、それはそれは甘い囁きで紡がれて。
「どんなに身体が丈夫でも腕力が強くても、声がでかくて向こう見ずでも、
気持ちってものは繊細な代物だから、些細なことで傷つきもするって思ってたんだろ?」
俺みたいな馬鹿野郎へも、なんてのは気が利きすぎだがなと、
中也が苦笑交じりに付け足せば。
何言ってますかっと瞬時に言い返してきて、
「中也さんはそりゃあよく気がつく人じゃないですか。」
そんな人だから、僕みたいに小心な奴の心持ちも気遣ってくれる人だから、
ボクみたいにうっかりした奴では見落としがあるかもって、
それがなんかおっかなくなってしまってそれで…と。
懸命に言いつのる敦の、間近に並べば確かに少しほど高い目線が、
でもどうしてだろうか いつだって上目遣いに見上げてくるよに見えるから、
それこそ中也自身でさえ たまに忘れているのになぁと仄かに苦笑し、
「でもな、今日なんて ちいとも手前の気持ちまで考えてなかったぞ?」
「うっと…。//////」
そう、敦自身が 瞬間湯沸かし器っぽい反射でムカッと来てしまったほど
無神経なことをやらかしたのであり。
他でもないご本人からの指摘にあって
「…ごめんなさい。」
敦の側が謝っているのも、見ようによっちゃあなんか変な流れじゃあある。
なのでというわけでもないが、
背中へ伸ばされてた手がポンポンと少年の背中を軽くはたいて、
「良いんだよ。つか、手前はもう少し自惚れろ。」
「え?」
どういう意味でそうなるものかと、
まるきりピンと来なかったらしい虎の子くんらしいのへ。
しょうがないなぁとの苦笑をこぼすと、
今宵はヘルメット着用だったのに それでも持ってた帽子、
敦の頭へ乗っけての押し込むカッコで少々屈ませ、
降りて来た耳元でそりゃあ低めたお声が囁いたのが
「 。」
「〜〜〜っ、////////」
どんなやり取りがあったかは、
冴えた夜気の中で微笑んでおいでだったお月さまだけが知っている内緒だそうなvv
to be continued.(19.03.26.〜)
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*蛇足へ続く

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